紀元前49年
「賽は投げられた」カエサル、ルビコン川を渡る

共和政ローマの軍人で、属州総督を経て、反乱を起こした民族の討伐などで実績を上げたガイウス・ユリウス・カエサルは、一時的に三頭政治の一角をしめて、クラッスス、ポンペイウスとともに元老院に対抗していました。
しかし、ガリア戦役でガリア属州総督としてローマを離れている間に、ポンペイウスに嫁いでいた娘ユリアが産褥で死去し、ポンペイウスとの関係は冷却化。両者の間に立ってバランスを取っていたクラッススも、パルティア遠征で戦死し、三頭政治は崩壊。ポンペイウスは元老院に接近してカエサルと対立していきます。
元老院はこれを機に、カエサルの属州総督の地位を剥奪し、ローマ帰還を命じます。
単身戻れば身の破滅とわかっているカエサルは、軍を率いて、ローマと属州を区分するルビコン川まで来ます。ここから先へ、軍を率いることは反乱を意味していました。
カエサルは「ここを渡れば人間世界の悲惨、渡らなければわが破滅。進もう、神々の待つところへ! 我々を侮辱した敵の待つところへ! 賽は投げられた!」と檄を飛ばして川を渡り、ローマへ進軍しました。
カエサルは、逃走したポンペイウスや元老院議員に代わってローマを支配下に置き、各地へ遠征。終身独裁官となり、後の帝政ローマの皇帝制の基礎を築きました。
この故事から、もはや後戻りはできない状況で最終決断をして実行に移すことを、「賽は投げられた」「ルビコン川を渡る」などといいます。

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