1763年
豊後国耶馬渓に青の洞門が開通

宝暦13年4月10日。
耶馬渓を流れる山国川の川沿いの崖に掘られたトンネルで、掘削計画を推進したのが曹洞宗の僧禅海。
開削以前は崖沿いに進むしかなく、非常に危険だったことから、中津藩主の許可を得た上で、トンネルを掘りました。
開通後は、通行料金を取ったため、日本最初の有料道路、と呼ばれていますが、当時は橋なども民間で架けた場合は通行料を取ることが多かったようです。
菊池寛の小説『恩讐の彼方に』は、青の洞門を開削する話で、かつて人を殺した禅海が悔い改めてトンネルを掘るようになり、そこに敵討ちに現れた、かつて殺した男の息子も、いつしか手伝うようになっていく、という人情物。しかし殺人や敵討ちの話は全くの創作です。
僧侶が架橋や灌漑などの公共事業を起こすのは古来よりしばしば行われています。そして権力者や領主らがそれを金銭的に支援する構造が社会的に成り立っていたようです。青の洞門もこういう事業の一つだったのでしょう。

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