1942年
エルウッド製油所砲撃と「ロサンゼルスの戦い」
真珠湾攻撃のあと、通商破壊作戦のためにアメリカ西海岸付近まで潜水艦9隻を派遣した日本海軍。この潜水艦で西海岸の諸都市を砲撃するという計画でした。
しかし、クリスマス前後の砲撃は、アメリカ市民の反発を買うという懸念から、延期になったといわれています。その中の一隻、日本海軍の伊号第一七潜水艦は、翌1942年2月24日、カリフォルニア州のエルウッド精油所を艦載砲で砲撃。施設に若干の被害を与えました。
被害は小さかったものの、アメリカ軍は衝撃を受け、動揺したのか、翌25日、ロサンゼルスで「日本軍機25機が襲来した」として軍は猛烈な対空砲火を行い、その破片で3人が死亡。市民も大パニックに陥り、心臓麻痺でさらに3人が死亡したといいます。
怪しい目撃談も次々と登場し、この様子は全米にラジオ中継され、驚いた市民は軍部の防衛体制を大いに批判。またこれが日系人の強制収容の原因の一つとなりました。
この「ロサンゼルスの戦い」は、日本軍の出動記録がない一方で、飛行物体がレーダーに映っていたといい、観測気球の誤認とか、保守団体が市民の危機感を煽るために飛行機を飛ばしたとか、UFOだとかいろいろ説があります(※)。一般的には日本軍襲来を恐れるあまりに軍も市民もパニックになったということでしょう。
伊十七号潜水艦は、帰途にもタンカー1隻と輸送船1隻を撃沈するなど通商破壊作戦を行いました。この他にも、伊二十六潜水艦によるバンクーバー島砲撃や、伊二十五潜水艦によるスティーブンス海軍基地砲撃などがあります。
この一連のパニックをパロディ化したのが、1979年に公開されたスピルバーグ監督の映画『1941』です。
※当時はUFO(未確認飛行物体)という語はなく、正体不明の航空機をフー・ファイターと呼んでいました。UFO説(宇宙人の乗り物という意味で)は戦後出てきたものです。
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