1599年
ベアトリーチェ・チェンチ斬首
近世初頭のヨーロッパで大きな話題となった悲劇の女性です。
彼女は、ローマの貴族フランチェスコ・チェンチの娘。このフランチェスコという人物が、札付きの問題人で、暴力騒ぎを繰り返し、妻や息子を虐待し、そして娘のベアトリーチェに近親相姦の関係を強要していました。問題を起こした父親は、投獄されることになりますが、ベアトリーチェは父親の横暴を当局に訴えます。ところが父親は貴族であるがゆえに釈放されたため、ついに家族は使用人らと共謀して父親を殺害しました。
フランチェスコが行方不明になったことで事件が明るみになっても、家族や使用人らは殺害を認めず、ベアトリーチェの恋人だった使用人は拷問によって殺されました。ローマ中の誰もが父親のことを知っていたため、殺害されたことは周知と言える状況でしたが、多くの市民が同情していました。
しかし、これを利用したのが、ローマ教皇クレメンス8世。彼はチェンチ家の財産を狙い、家族らを逮捕。一番下の幼い子を残して、妻と、息子、そしてベアトリーチェは処刑されました。だがベアトリーチェの死刑は、市民の反発を買い、暴動まで起こる始末。教皇は人目を避けるようになったとか。のちに彼女が多くの作品の題材になったのも、同情的な要素があるのでしょう。
同時代のカトリック教会の腐敗と世俗化は深刻で、プロテスタントの拡大につながったのは言うまでもありません。
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