1934年
ボニーとクライドが射殺される

ボニー・パーカーとクライド・バロウは、アメリカで世間を騒がせた有名な犯罪者のカップル。
ボニーは成績優秀な子供だったそうですが、16歳で結婚した相手が、強盗で刑務所に入れられてしまいます。一方のクライドは17歳の時にギャングの兄について犯罪に手を染めるようになり、ダラスで二人は出会ったようです。クライドは刑務所から出所後に頭角を現してギャング団を率いるようになり、ボニーも仲間に加わります。二人とギャング団は強盗や殺人を繰り返し、強盗では、あらかじめ車を用意し、強盗後には車で逃走、警察が追えないよう、州を越えて逃げるという手口を使いました。当然、警察はやっきになって彼らを追います。一方で、彼らをかくまう人間もかなりいたとか。
仲間を失いながら、逃走を続けていた彼らは、情報をつかんだテキサスレンジャー(テキサス州の法務官)とルイジアナ州警察の待ち伏せによって数十発の銃弾を浴びせられて死亡しました。育った環境が二人の運命を決めてしまったところがあり、そういう意味では気の毒といえなくもありません。
この話は、事実としては言うまでもなく残虐なギャング団の話に過ぎないのですが、創作物の題材として人気があり、映画、舞台劇、漫画、楽曲など多数の作品になっています。なかでも映画『俺たちに明日はない』(1967年8月13日公開)では、その暴力描写が話題になり、最後の銃弾を浴びせられるシーンは有名です。一部からは激しい批判が浴びせられるも、公開直後から大きな話題になり、アメリカン・ニューシネマの代表作となりました。

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