1540年
トマス・クロムウェル処刑
この日、イングランド王ヘンリー8世のかつての側近トマス・クロムウェルが処刑されました。
貧しい家に生まれたクロムウェルは大陸へ渡航、フランスで兵士となったり、織物市場で働いたりして数ヶ国語に堪能になり、ローマ教皇庁の枢機卿レジナルド・ベインブリッジの代理人として、イングランドに関わる教皇庁控訴院の案件に従事していたといいます。
枢機卿の死後、クロムウェルはイングランドへ帰国し、トマス・ウルジー枢機卿に仕え、ヨーク教会管区の集税吏となり、さらにイングランド議会の議員となって小修道院の調査を行いました。
ヘンリー8世から信頼を得るようになった彼は、評価されて騎士に任命されます。彼も王のために働くようになりました。
そのヘンリー8世は王妃キャサリン・オブ・アラゴンと離婚し、王妃の侍女アン・ブーリンとの結婚を望んでいましたが、カトリック教会では離婚は認められません。そこで、結婚そのものが無効だったとするよう教皇に要請していました。
王の腹心となったクロムウェルは、閣僚や控訴院判事などを歴任して権力を握るようになり、王の離婚問題に当たることになります。
ローマ教皇庁が王の結婚無効を認めないと、クロムウェルは議会を動かし、教皇庁の収入源であった修道院の財産を抑え、聖職者に対する立法権を王に移行させます。さらに「上告禁止法」を成立させます。この序文で、イングランドは教皇庁の管轄に属していないことを宣言しました。そして、イングランド国教会をカトリックから離脱させ、国王が「信仰の擁護者」として国教会の長となりました。この大規模な宗教改革を、実のところ、国王の離婚のために行ったわけです。彼は男爵となり貴族に列せられます。
ヘンリー8世はキャサリンと離婚し、アン・ブーリンと再婚しますが、さらに侍女のジェーン・シーモアに心移りすると、アンを処刑し、ジェーンと結婚します。クロムウェルはこれも支持しました。しかしジェーンが産褥死すると、さらなる再婚相手としてクロムウェルは海外からアン・オブ・クレーヴズを招きますが、アンが聞いていた女性と大きく違っていたことから王の怒りを買い、それを政敵に利用され失脚しました。王はアンと離婚。クロムウェルは叛逆罪で収監され、密かに処刑されました。その日、王はキャサリン・ハワードと再婚しました。結局彼とイギリスの宗教史は、王の結婚と離婚に翻弄されたわけです。
ヘンリー8世はさらに離婚と再婚を繰り返し、6回結婚しました。
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