1935年
第四艦隊事件

これは、日本海軍が演習のために編成した第四艦隊が、三陸沖の太平洋上で、接近が報じられていた台風の中で演習を強行したところ、参加艦艇の半数が損傷するという事態に発展。54名が死亡する事件になった出来事です。
駆逐艦の中には艦橋から前が切断したり、艦の表面に大きなシワが出来たりしています。新造艦を含め艦歴は様々で、駆逐艦から空母までありましたが、艦種に関係なく損傷しました。これは細長い艦体が、波長や波高の大きな波に乗り上げて落ちたり、波に翻弄されたことで大きな力が加わり、艦体や艦橋などが圧潰したためでした。
海軍はこの事態を重視し、調査を行いますが、結論は溶接による強度不足、というものでした。実際に強度不足だったかは意見の分かれるところで、予想以上に大きな三角波だったために艦体が耐えられなかったとも、軍縮条約の基準に武装を強化したために耐えられなかった、ともいわれています。
日本海軍は、軍艦建造をリベット方式に戻しますが、これは艦の重量が増し、時間もかかるという、建造に大きな影響を与えました(電気溶接が行われなかったわけではありません)。大戦中、電気溶接したアメリカ艦隊も台風で大きなダメージを受けています。一方、リベット式は頑丈ですが、爆撃ではリベット部分が吹き飛ぶため、弱いともいわれています。

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