2000年
タリバーンがバーミヤーンの大仏破壊に着手

古代都市もあったバーミヤーン渓谷には、仏教による石窟寺院が多数作られ、ペルシャなどの影響を受けた壁画、巨大な大仏などが作られ、一大遺跡群となりました。のちイスラム教徒が入り込み、偶像崇拝を否定し、異教徒を迫害した彼らは、大仏の顔を削り取りますが、大仏の大部分と多くの壁画はそのまま残されました。
しかし、ソ連のアフガニスタン侵攻以降、アメリカも支援し、パキスタンを拠点に興され武装蜂起したイスラム原理主義勢力タリバーンは政権を掌握し、同地も支配下に収めますが、彼らは偶像崇拝を否定し、予告の上で巨大な大仏2体を爆破。壁画の殆ども破壊しました。なお、内戦中にこの付近が武装陣地化され、その過程で破壊された遺跡もあります。
この文化破壊行為は世界中の批判を浴びました。一方で、イスラム教徒や日本のNGOの中には、内戦での膨大な死者や飢餓状態を問題にせず、大仏の破壊ばかり問題にしていると批判をし、大仏より難民を救済することのほうが重要だ、と主張したわけです。
もちろん人命が最優先なのは言うまでもないですが、これらのNGOには、反米という立場からタリバーンを支持する思想的な団体も多く、NGOの中には、タリバンの姦通罪などを理由による女性への公開斬首を「地元の習慣だから当然」と容認する主張までしている団体もありました。また、内戦による人的被害は問題としても、それゆえに大仏破壊を容認するわけには行かないのも当然であり、タリバーンが地元の民族を迫害し、あるいは改宗などを強制しているという背景と大仏破壊はリンクしているため、アメリカ軍と対立するタリバン擁護のために大仏破壊行為を内戦から切り離しているのはこれらの団体とも言えます。
なお、地元では国際支援のもと、修復の計画も進められています。大仏が観光資源になることを期待できるためです。

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