753年
東大寺蘆舎那仏の開眼供養

天平勝宝4年4月9日。
聖武天皇は金光明最勝王経の影響を受けて、仏の力で国を護ると考え、天平15年10月15日(743年11月5日)、紫香楽に大仏造営の発願を行います。その後、都自体が恭仁京から紫香楽に移されます。しかし不審火などが相次いだことから、都を平城京に戻し、そこで大仏を作ることにしました。ここには自分の力を誇示する意味もあったようです。あわせて全国に設置することになった国分寺(天平13年2月14日に発詔)の総本山として、東大寺も建立することになります。
巨大な大仏の造営には莫大な資金と膨大な人員が必要でした。専門の役所(造東大寺司)が作られ、全体の工事を含め、延260万人が参加したといいます。鋳造中に事故が起こり死傷者が出ることもあったそうです。
鋳造が完成したのは天平勝宝元年10月24日(749年12月8日)。6年の月日がかかっています。完成と言っても、全体像が出来上がったもので、細かい作りはさらに継続されました。
そしてインドから唐を経て日本へやって来た僧、菩提僊那に開眼供養の導師となってもらい、聖武上皇以下が参列して、盛大な開眼供養が行われました。
国のために作った大仏でしたが、結果的にその負担は民に重くのしかかりました。
その後、地震や戦乱などで度々破壊され、そのつど継ぎ接ぎ式に再建されたことから、現在当時のもので残っている部分は、台座の蓮弁と、腰のあたり、指の一部などになっています。

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