803年
ローマ帝国初の女帝、エイレーネー没

エイレーネーは東ローマ帝国イサウリア王朝の第3代皇帝レオーン4世の皇后で、第4代皇帝コンスタンティノス6世を生みました。
この当時、イサウリア王朝の政策として聖像破壊運動(イコノクラスム)が盛んに行われていましたが、ギリシャ出身のエイレーネーは聖像崇敬派で、夫レオーン4世にイコノクラスムの動きを緩和させました。
レオーン4世は30歳の若さでこの世を去ったため、幼いコンスタンティノス6世が跡を継ぎますが、子供に皇帝は務まりません。エイレーネーは摂政となって政務にあたります。ところが息子のコンスタンティノス6世は、成長すると、聖像破壊をめぐってエイレーネーと対立するようになりました。皇帝は実権を握りますが、遠征に失敗して人望を失います。
そこでエイレーネーは797年7月17日、軍事クーデターを起こして、息子である皇帝を捕らえ、その目をくりぬいて追放しました。目を潰したのは、皇帝の条件が五体満足でなければならなかったからとされているからです。皇帝はこの傷がもとでまもなく死にました。
エイレーネーは息子から帝位を簒奪したわけで、しかもローマ帝国の皇帝で女帝は前例がなく、彼女は減税政策などで市民を懐柔します。一方で聖像破壊主義者を弾圧したことから、帝国は分裂状態となり衰退。
ローマ教皇も、彼女の帝位を認めず、ローマ皇帝位をフランク王国のカール(カール大帝)に認めたことから、帝国の権威は失墜し、エイレーネーは、ニケフォロスの起こした革命で失脚。間もなく亡くなりました。

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