745年
行基が大僧正になる(天平17年1月21日)

行基は、日本の奈良時代の僧。河内国大鳥郡(現大阪府堺市)に生まれ、幼くして出家。道昭のもとで学び、僧侶団を率いて各地へ赴くと、社会事業に取り組みました。その規模は非常に大きく、数多い寺院や尼院、道場の建設は言うまでもなく、橋を架けたり、農業貯水池を掘ったり、港湾を整備したりしています。基本的に民衆のために事業を行いました。
そのため、庶民に非常な人気を得ました。庶民だけでなく、地方の豪族にも彼を支持するものが多数いました。
朝廷はそんな行基を、僧尼令に違反するとして養老元年4月23日詔を出して、弾圧しました。
これは表向きは国家仏教として管理し、寺外での民衆への布教を制限していたことがありますが、民衆の大きな支持を受ける彼とその教団を、朝廷や、従来の教団が恐れたということもあります。
しかし、行基の活動はあくまで社会事業で、中央の権力には関わらなかったことや、その民衆の支持を利用したいと考えた朝廷によって、逆に公共事業のために彼を利用することを考えつきます。行基も協力しました。おそらく逆らうよりは、朝廷に協力することでより庶民を救えると考えたのでしょう。彼は大仏建立のための勧進責任者となり、開眼供養の導師として太宰府までインドの僧、菩提遷那を出迎えに行っています。それらの功績で、738年(天平10年)には行基大徳の称号を、745年(天平17年)には日本最初の大僧正の位を贈られました。

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