1795年
長谷川宣以死去

寛政7年5月19日。長谷川宣以(のぶため)は江戸の旗本です。といってもわかりづらいでしょうが、長谷川平蔵と聞けば、知っている人も多いと思います。
池波正太郎の小説『鬼平犯科帳』の主人公で、火付盗賊改方長官だった人物です。
火付盗賊改方というのは、凶悪犯罪を専門とする警察。父親も同職にあったことがあります。若い頃は無頼者で有名だったそうで、当時銕三郎という名前から、「本所の銕」と呼ばれていたとか。京都西町奉行だった父が亡くなると30歳で跡を継ぎ、旗本として幕府の職を歴任し、42歳で火盗改方に就きました。
彼は軽犯罪者の社会復帰施設である人足寄場の建設を進めたり、現実的な政策を行いますが、幕閣の松平定信や同僚の旗本らからは非常に嫌われ、予算の配分も削られ、かなり苦労したといいます。一方、真刀徳次郎や葵小僧など庶民を恐れさせた盗賊らを逮捕処刑し、江戸庶民らの人気を博したといいます。
その実力のためか、幕閣に嫌われたためか、同職に8年もいた後、寛政7年に辞職。間もなく死去しました。

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