1942年
アンネ・フランクが日記を書き始める

ナチスドイツによって短い人生を終えた少女アンネ・フランクの日記『アンネの日記』は、世界的に知られた本です。1942年6月12日から1944年8月1日まであります。同年8月4日にゲシュタポによって連行されました。戦後父親の手で出版されます。
ホロコーストの残酷さを表すものとして、今も反戦平和運動の象徴となっています。一方で長いこと真贋論争が続きました。
しかし、日記そのものは反戦を訴えたり、平和を訴えたりするような思想的なものではなく、思春期を迎えた一人の少女の日々の出来事や、好きな男の子のこと、嫌いな人たちのこと、家族のこと、考えていることなどを、やや創作文学風に記したものです。彼女はほかに小説も書いています。
アンネの日記は、どんな過酷な状況でも、子供には、楽しいことや悲しいことやいろんなことを感じ取って吸収し、それを表現するだけの強さがあることを示しています。すぐに絶望し、簡単に諦める大人とは違い、子供というのは生命のエネルギーに満ちているわけです。大人が人に見せる意図で書く欺瞞だらけで体裁を取り繕った戦争や平和の本より、よっぽどリアルな本でしょう。
アンネ・フランクは、戦争終結直前の1945年3月、ベルゲン・ベルゼン強制収容所でチフスにより15歳で亡くなりました。

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