1987年
平沢貞通死去

彼は、1948年(昭和23年)1月26日に起こった12人が死亡した強盗殺人事件「帝銀事件」の犯人として逮捕された画家。
死刑判決を受けるも、真犯人なのか冤罪なのかがはっきりしないまま、死刑にも出来ず、ずっと獄中にありましたが、この年の5月10日、八王子医療刑務所で死去しました。95歳。
逮捕直後は犯行を自供していますが、のちに無罪を主張。
状況や調書の作られ方から冤罪だったのではないか、という説も強い一方で、下記の類似事件で使われた名刺を持っていたが紛失していること、出所不明の大金(被害額とほぼ同じ)を持っていたことなど、奇妙な点も多かった人。それが彼が無実とされなかった理由のひとつでもあったようです。死後も名誉回復の訴えが続いています。
なお、類似事件として、1947年10月14日に安田銀行荏原支店で、1948年1月19日に三菱銀行中井支店で起こっていますが、いずれも死者はありませんでした。犯人は同じだと考えられています。

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