1453年
コンスタンティノポリス陥落。東ローマ帝国滅亡
コンスタンティノポリスは、現在のイスタンブールです。地中海とエーゲ海、マルマラ海、黒海をつなぐボスポラス海峡に面して存在します。
西暦330年5月11日に、ローマ帝国によって開都しました。ローマ帝国の分裂、そして西ローマ帝国の滅亡後は、キリスト教文明の中心地として繁栄します。この都市は海に突き出た三角形をした場所にあり、大きな城壁で囲んでいたことから難攻不落でした。やがて領域を広げ、ギリシャやイタリア、中東、北アフリカ沿岸一帯を支配し、地中海帝国と言ってもいい大国家となります。
しかしイスラム帝国が生まれると、徐々に侵食されるようになります。さらに聖像破壊でカトリックと対立し、無能な皇帝の輩出も重なって、衰退は進み、たまに有能な人物が出てやや復活するも、大きな流れは変えられませんでした。
1204年4月13日、第4回十字軍によって一旦滅ぼされますが、1261年7月、亡命国家ニカイア帝国によって復活。しかし交易はヴェネツィアやジェノヴァの海商国に奪われ、昔日の勢いは戻りませんでした。
1400年ころには都と周辺だけしか支配できなくなります。一方強大化したオスマン帝国はなんども攻撃してくるようになり、1453年、オスマンの君主メフメト2世は戦艦を陸上輸送するという大胆な戦法と重砲によって包囲し、ついにコンスタンティノポリスは陥落。皇帝も消息を絶ち、東ローマ帝国は滅亡しました。
その後オスマン帝国の首都となり、イスラム色の強い街となっていきますが、現在もビザンチン建築は随所に残っています。
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