645年
乙巳の変が起こる(皇極天皇4年6月12日)
乙巳の変というのは、比較的最近まで、大化の改新と呼ばれていました。
中大兄皇子と中臣鎌足によって、蘇我入鹿が暗殺された事件のことです。新羅、百済、高句麗からの進貢(三国の調)の使者が訪れ、その儀式の場で事件は起こりました。国際的な儀式であるため、警戒心の強い入鹿も出席することから、狙いやすかったわけです。
天皇の見ている前で入鹿は襲われ、殺害されました。父の蝦夷も翌日邸宅に火を放ち滅びました。蘇我氏の滅亡、という表現もありますが、滅んだのは本宗家で、蘇我倉山田石川麻呂のようにクーデター側に付いた人物もいます。
大化の改新というのは、事件以降の政治改革のことを指すため、このクーデター事件そのものは、乙巳の変と呼ばれます。
事件の背景は諸説がありますが、従来は、蘇我氏の専横で片付けられていました。しかし最近では、保守的で百済との関係にだけこだわる中大兄皇子らに対し、強大化する唐を意識して唐や新羅とも積極外交を主張した蘇我氏の対立、という説も出ています。
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