1948年
寿産院事件
この事件は、終戦後に発生した大量嬰児殺害事件。その舞台になったのが、寿産院と名乗った乳幼児引き取り施設。戦争が終わり、平和になったことや、引揚者が多く帰還したことで、ベビーブームが起こります。しかしまだまだ世の中は貧困のまま。育てられずに、預ける人も多かったわけです。寿産院側も広告をうち、ひとり4~5千円で引き取っていました。寿産院にとっては、このお金だけでなく、嬰児を引き取ることで、政府からも金銭や配給品を受け取っていました。
だが寿産院は、嬰児たちに食べ物を与えず、あるいは凍死させたり、窒息させたりして殺していました。
もちろん、そのままでは遺体だらけになってしまうため、葬儀屋に運ばせていました。医者が診断書を偽造し、役所にも死亡届を出していましたが、まったく疑問に思っていなかったといいます。
事件は、警官が見回り中に、夜中にこっそりとお棺を運び出している業者を見て聴取したことで発覚しました。遺体は寿産院内にも残されており、ニュースが伝わると、子供を取り戻す親が来るなど大騒ぎになりました。
犠牲者は推定85人から169人。
運営していた夫婦の内、主導的だった妻に懲役4年、夫に懲役2年の判決を下されました。
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