1570年
金ヶ崎の退き口・金ヶ崎の戦い。元亀元年4月26日

織田信長は、徳川家康・公家衆・畿内諸領主と共に、朝倉を攻めるため、元亀元年4月20日(1570年5月24日)に京を出発します。ここまでは順調にことが進み、この日、金ヶ崎城を攻め落として朝倉景恒を下した織田方でしたが、そこへ凶報が飛び込みます。信長の義弟で味方だったはずの近江小谷城主浅井長政が朝倉方について出撃したというもの。金ヶ崎は浅井領と朝倉領に挟まれた場所。挟撃されれば万事休す。どこから得た情報かは現在ではよくわかってませんが、一報を受けた信長、即断して逃げ出します。逃げるなんて情けない、というのは後世の考え方。命さえあればいくらでも再起が図れるというもので、当時は逃げることは至極普通のことでした。
伝承では羽柴秀吉が殿軍に付いたとありますが、他にも明智光秀、池田勝正、徳川家康なども殿軍だったという説があります。秀吉はのちに報償を受けているため、退却戦に彼の活躍があったのでしょう。
松永久秀の説得で、近江朽木の領主朽木元綱の協力が得られたことから、織田軍は大きな損害もなく京まで戻り、以後、朝倉だけでなく、浅井勢とも戦うことになります。

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