1960年
カフジ油田の発見
太平洋戦争が、石油資源の獲得を大きな要因としていたように、エネルギー資源の乏しい日本は、戦前からその確保に苦慮してきました。戦後、燃料や製品の原料として、石炭から石油へシフトする中で、日本は独自の石油資源獲得に動き始めます。独自にこだわったのは、かつてアメリカに石油輸出を禁止されて苦境に陥り、戦争へ発展した苦い経験があったからです。
1957年、日本輸出石油株式会社がサウジアラビアで採掘権を獲得。それに尽力した実業家、山下太郎が興した会社がアラビア石油で、クウェート沖の海底で大規模な油田を掘り当てました。これがカフジ油田であり、メジャーと呼ばれた欧米の巨大石油企業に頼らない日本初の自主開発油田で、日の丸油田と称されました。クウェート王族が日本に開発許可を出したのは、技術支援などの他に、欧米に対する対抗意識があったとも言われます。
その後も、アラビア半島の各国と結んで日本は石油を輸入して行きました。これが日本の発展を促したと言っても間違いではないでしょう。しかしその始まりとなったカフジ油田の契約は、アラビア石油の採掘権は2000年2月に期限が切れる事態に。クウェート側がごねて、延長されずにマスコミに批判されました。
アラビアでの自主開発の成功は、一方でアラビア半島依存となり、他の地域の資源開発を遅らせ、東シナ海で中国に先手を打たれたり、中東情勢次第で石油危機に追い込まれる事態も招いています。
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