1939年
国産テレビの試験放送開始

日本放送協会の放送技術研究所が公開実験放送を始めたのがこの年。今も世田谷の砧にある同研究所に作られた100mの塔から電波を発射しました。千代田区内幸町に新しく作られた放送会館の運用開始記念のためだったと言われています。
もともと1940年9月21日に開催されるはずだった東京オリンピック(1936年7月31日に決定)でテレビ放送を行なう目的で準備していたわけですが、日中戦争が勃発し、物資不足と内外から開催反対の声が上がったことから、1938年7月15日にオリンピックは中止が決定してしまいます。
しかしテレビ放送を目指す研究は続けられ、この日、試験放送を行いました。さらに1940年4月13日、14日、20日には、初めてのドラマ『夕餉前』も放送されるなど、何度か試験放送を行いました。当時のカメラは感度が悪く、撮影は多数の光源を用意し、その温度で大変だったといいます。
太平洋戦争突入で放送は中止になり、再開は戦後の1953年2月1日までまたなくてはなりませんでしたが、戦前の経験が生かされました。
デジタル放送の時代になり、インターネットとも接続して、放送の多様化も進みましたが、日本でのテレビ放送の始まりはここからだったわけです。

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