1911年
日本近代スキーの始まり

世界有数の豪雪地帯で、最近は欧米やオーストラリアからもスキーヤーが集まってくる日本。スキー競技では常に国際上位にいるわけですが、そのはじまりは、オーストリア陸軍のテオドール・エードラー・フォン・レルヒ少佐が、新潟県高田(現在の上越市高田)の陸軍歩兵連隊の青年将校に、スキーの指導を行ったものが最初だとされています。
レルヒは、オーストリア=ハンガリー帝国の軍人。日露戦争で日本がロシア帝国に勝利したことは、世界中に衝撃を与えました。有色人国家が白人国家に勝つというのは、近代においては考えられなかったからです。そのため日本は注目されましたが、レルヒも日本陸軍の研究のために、1910年11月、交換将校として来日しました。いうまでもなくスキー教師として来日したわけではありません。一方日本側も、1902年の八甲田山雪中行軍遭難など、陸軍は冬の装備や行軍で問題を抱えており、レルヒが持つスキーの技術に興味を持ち、指導を求めました。
レルヒは高田歩兵第58連隊の駐屯地や、高田の金谷山などで指導をおこないます(このため金谷山は日本スキー発祥の地とされています)。彼が教えたスキー術は、装備の点ではほぼ今のスキーと同等ですが、一本杖スキーと呼ばれる1本だけで行うものでした。
アルペンスキーの基本である現在主流の杖を2本使うスキー術「アールベルク・テクニック」は、考案したオーストリアのヨハネス(ハンネス)・シュナイダーが1930年に来日して広まったもの(彼がオーストリア・チロルのサンクト・アントン・アム・アールベルクで指導を始めたため、アールベルクスキーの語源となったわけです)。レルヒとシュナイダーが日本をスキー大国にしたと言えます。
レルヒの指導を記念して、今でも一本杖スキー大会が行われたりしています。

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