後期重爆撃期

後期重爆撃期とは、41億年前から38億年前までの、地球に大量の小天体が降り注いだと考えられる時代を指します。
46億年前前後に地球は惑星となり、その直後には頻繁に起きていた天体同士の衝突も、月の誕生につながった惑星テイア(仮称)の衝突を最後にほぼ終息し、マグマオーシャンだった地球は徐々に冷えて固まっていきます。44億年前ころには膨大な水蒸気も雨となって地上に降り注ぐことで海も誕生。まもなく原始的な生物も発生したと見られます。
ところが、1970年代のアポロ計画で月の「海」と呼ばれる黒い平原の石を3箇所から持ち帰って分析したところ、いずれもその岩石が溶融した年代が38億年前から41億年前の間に集中していることがわかります。
つまり月の「海」は、多数の天体衝突の熱で溶解したマントルなどが溢れ出て広がり固まった玄武岩だということがわかったわけです。
ということは、その時代に月の直ぐ側にあり、より大きくて重力のある地球にも同様かそれ以上の小天体が降り注いでいたはず。
地球にはこの時代より古い時代の地殻を示す岩石がほとんど見つかっていません。それは形成されていた地殻が、大量の天体衝突で再び溶けてしまったためではないか。さらに水星には、カロリス盆地という超巨大なクレーターがあること、水星には地殻がほとんど無くマントルがむき出しになっていることなどから、大規模な衝突があったと見ることもできます。
これらが、月の多数衝突と同じであれば説明がつくのでは。ということで、この期間のことを、「後期重爆撃期」と呼ぶようになりました。ちなみに「前期」は太陽系の惑星が形成されるときの天体衝突を指しています。
この大規模な小天体の衝突現象、小天体はどこから来たのか、という点については諸説あり定説がまだありません。有力なものとして、木星などの大型惑星が軌道遷移し、その重力に引っ張られる形で外縁部の小天体多数が内惑星系へと移動したのではないかというもの。
地球の生命は、すでに誕生していた可能性が高いわけですが、この大規模な天体現象をも生き延びたというのが現在の説。地上は超高温となり、あるいは海も干上がるほどだったのではないかと考えられますが、この頃の原始生物は今よりも熱に強い超好熱菌であったこと、残った海中の奥深く、あるいは水の染み込んだ地殻の割れ目の奥などにひっそりと生き延びたものがいたものと思われます。

なお、この後期重爆撃期説には反論も多数挙げられてます。
その主なものは、そもそもこの説の根拠が、3つのアポロ計画で採取された岩石の分析結果に依存していること。離れた3箇所の「月の海」から採取した岩石が同じ時期に溶融しているということから、同時多発的に起きた、すなわち月全体で起きた天体現象という推測が元になっています。しかし、それらの「海」の位置を考えたとき、月で2番めに大きく3重構造のクレーターをもつ「雨の海」の影響範囲にあることから、「雨の海」を形成した1つの巨大な天体衝突で飛び散った溶融破片が周辺域に降り注いだのを、各アポロ計画でそれぞれ拾ったという考え方もできるわけです。
この説の場合、月に大量の小天体が降り注ぎ続けた時期はなく、当然、地球にもそういう歴史はなかったということになります。
「月の海」の形成については、地球とテイアの衝突で月が誕生したあと、その頃頻繁にあった天体衝突で多数の巨大クレーターができ、そのあと放射性元素の崩壊熱によって高温になり、より溶融しやすい玄武岩だけが溶けて、巨大クレーターを埋めていったため、黒っぽい色の平原ができたというのがもともとあった有力説です。
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