1297年
モナコ「建国」

この日、フランソワ・グリマルディらがモナコ要塞を占拠し、のちにモナコ公国の始祖とされました。
世界で2番目に小さな国、モナコ公国。モナコはこの地に住んだギリシャのポカイア人が名付けたモノイコス(「一軒家」=神殿)から来ています。神聖ローマ帝国からこの地を得たジェノヴァが支配しますが、この頃、北イタリアの諸侯は、ローマ教皇と神聖ローマ皇帝の対立と、皇帝のイタリア政策を受けて、ローマ教皇を支持するゲルフと、皇帝を支持したギベリンに分裂しました(ロミオとジュリエットの家同士の対立の背景でもある)。
ジェノヴァの貴族グリマルディ家のフランソワ(フランチェスコ)は、モナコ要塞がギベリン派の勢力に占領されたことから、フランシスコ会の修道士姿に変装し、法衣の下に武器を隠して要塞に侵入し、要塞の占拠に成功しました。
しかしまもなく、ジェノバのギベリン派に奪い返されてしまいました。フランソワには子供がいなかったため、従弟で妻の連れ子のカーニュ侯レーニエ1世が跡を継ぎ、モナコ要塞をめぐる争いを受け継ぎました。
ゲルフとギベリンの対立は、本来の立場を超えて各国・各諸侯の勢力争いへと発展しますが、1419年、グリマルディ家はアラゴン王国からモナコを購入し正式な支配者となりました。
レーニエ1世の子孫である現在のモナコ公国グリマルディ家は、フランソワの直系の子孫ではなく、支配も1419年以降ですが、モナコではフランソワを始祖とし、建国も1297年としています。その後もフランスとイタリア諸邦との間に挟まれて外交に苦慮しながら現在に至っています。

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