1940年
西成線列車脱線火災事故

大阪市此花区の当時の鉄道省西成線(現JR西日本桜島線)安治川口駅構内で午前7時少し前に起こった列車脱線転覆火災事故です。
列車は臨海の軍事工場地帯へ向かう労働者で満員でした。車両は当時比較的普及していたガソリンカー(ガソリン動車)という気動車でしたが、日中戦争が始まり、燃料の節約のため、できるだけ無駄に使わないようしばしば惰性走行を行なっていました。
そのために遅れが生じて、単線区間の西成線に臨時列車や旅客列車が集中して入ることが出来ず、更に遅れが生じる状況になります。遅れると時間を戻すためにはガソリンを消費しなければならず、焦った駅員が、この列車が分岐器を通過しているさなかに、手動で分岐器を操作してしまいます。そのため列車は線路をまたいで走行し脱線。構内にあった踏切そばの電柱に激突して転覆しました。
この際に、満員の車体が重みで沈んでいたため、ガソリンタンクにプロペラシャフトが接触してタンクが破損。漏れ出したガソリンに、転覆時の火花か何かが引火して車体が燃え上がりました。
転覆したため片側の窓からしか逃げ出せず、満員の車内の乗客は次々と火に飲み込まれて行き、乗員乗客の死者は189名、重軽傷者は69名という大惨事になります。しかし、軍事重要路線であることから、労働者らを総動員して復旧が行われ、その日の午後には運行を再開しています。
駅員2名が禁錮2年となりましたが、そもそも列車通過中に分岐器が操作できた状態も問題でした(事故を受けて通過中の操作ができないように鎖錠される)。
同線の電化は翌年の予定でしたが前倒しされ、さらにガソリンカーの危険性が明らかだったことから、ディーゼル動車への開発が進められました。戦争による燃料不足もありますが、この事故でガソリンカーは急速に衰退しました。

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