1939年
ノモンハン事件勃発
日本とソ連が戦闘を交え、大量の犠牲者を出した紛争です。
この日、かねてより満洲国とモンゴル国との間で領地係争中だったハルハ川付近で両国軍が衝突したのがきっかけ。
そのあと、満洲国の背後にいる日本と、モンゴル国の背後にいるソ連がそれぞれ軍を繰り出し軍事衝突に発展します。これが第一次ノモンハン事件。日本側は航空攻撃では優位にたつも、地上部隊は包囲殲滅されてしまいます。
7月1日には日本側から攻撃を仕掛け、なんども交戦し、ソ連軍を押しますが、決定的な打撃を与えられないまま被害は拡大し、7月半ばには攻勢を断念します。
8月20日、ソ連軍は総攻撃に出て、10日間で日本軍は壊滅的な打撃を受けて退却しました。結局、両国政府が継戦を望まなかったため、9月16日の停戦協定で終了します。
両国とも大量の戦車や装甲車、航空機を投入したわけですが、戦術の連携や兵站がお粗末だったため、被害も甚大で、師団によっては3割から7割の死傷者を出し、両軍合わせて2万人前後の死者を出しています。しかもともにこの戦闘をほとんど教訓にしなかった点で共通しています。事件というよりは、完全な戦争でした。
事態が明らかになったのは戦後で、ソ連側の情報がわかったのは1990年代以降。その際にソ連軍もかなりの犠牲者を出していたことが明らかになっています。
ウインドウを閉じます
★総合年表
★総合年表ブログ