1954年
ビキニ水爆実験・第五福竜丸が被曝
ビキニ環礁でアメリカが水爆実験「キャッスル作戦」を実施しました。
原子爆弾は重い元素であるウランやプルトニウムを激しくぶつけたり、爆圧で圧縮したりして壊す(原子を核分裂させる)ことでエネルギーを取り出す兵器ですが、水素爆弾は逆に軽い元素である重水素などを高いエネルギーでくっつける(原子を核融合させる)ことでさらにエネルギーを取り出す兵器。
核融合を起こすのに必要なエネルギーを得るため、原子爆弾を使います。つまり、水素爆弾の構造は大雑把に言えば反射材の外殻の中の一方に原爆を、一方に三重水素やリチウムなどの核融合用原料を置いて、核分裂、核融合、さらに核分裂を起こす多段階の核兵器です。
最初にこの水爆を実験したのは、1952年のアメリカによるアイビー作戦マイク実験でしたが、その時は、核融合させる密度を高めるため、重水素と三重水素を氷点下二百数十度まで冷やして液化したため、冷却器など装置が必要で、「実用性」はありませんでした(湿式水爆という)。
そこで、重水素とリチウムを化合させて固体化した方法が考え出されます(乾式水爆という)。これを最初に行ったのが、ソビエトのRDS-6(スロイカ型というパンケーキのような核分裂と核融合材料を重ねた核爆弾で、水爆と言うより強化原爆)。
ソビエトはこれを水爆の成功と称し、実際には400kt(キロトン)の核出力を数Mt(メガトン)もあるように宣伝。アメリカは疑惑を持ったものの、水爆開発を急ぎます。そして行われたのが、キャッスル作戦。その最初の核実験ブラボーは、4~8Mtという予想をはるかに超える15Mtの核出力を引き起こします。そのため、危険エリアの設定を誤り、周辺の諸島、及び、海域に膨大な放射性物質が降下しました。
その海域にいたのが、日本の多数の漁船でした。なかでも第五福竜丸の被曝と、久保山無線長の死は、日本中に衝撃を与えました。マーシャル諸島ロンゲラップ環礁の住民など計2万人以上が被曝したと言われています。周辺住民はわざと被曝させた人体実験という説もあります。反核運動のビキニデーは、この核実験から来ています。
この実験で、航空機に積めるサイズの水爆が製造できるようになりました。
なお、反核関係の書籍やウェブサイトでは、ビキニ水爆実験の写真と称して、1946年のビキニ「原爆実験」の写真がよく掲載されていますが、これは間違いです。水中原爆実験の際に出来た特徴的なカリフラワー状のキノコ雲が有名なために、検証もせずに取り上げているのだと思われます。
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