1946年
ビキニ原爆実験クロスロード作戦が始まる

1945年に開発された原子爆弾は、広島・長崎で実戦使用されますが、実験的な意味もあったと言われています。戦後も研究は続き、その実験として最初に行われたのが、ビキニ環礁での原爆実験でした。
作戦では3回核爆発を起こし、その効果を確かめるというものでした。
実験では大戦中に使用されたアメリカ、日本、ドイツの艦船約70隻が動員されました。
最初の核爆発実験エイブルは、B-29からの原爆投下でしたが、位置がずれたため、直撃した観測艦や日本の軽巡洋艦酒匂を含む5隻が沈没します。目標をそれたためか、記録映像ではキノコ雲が画面の端できちんと映っていないものが複数見られます。
7月25日の2回目のベーカー実験では、艦隊の中心で上陸用舟艇から吊り下げられた水深27mで起爆されました。巨大な水柱があがり戦艦アーカンソーが跳ね上げられるシーンが映像に残っています。このベーカー実験では戦艦長門を含む8隻が沈没しています(長門は7月29日に沈没)。
この実験で各艦船の放射線による汚染を測ったところ予想以上にひどかったため、3回目の実験チャーリーは中止になりました。除染作業と修復によって艦船が使えるようになるかのテストも兼ねていたようで、多くの兵士が参加し、そして被曝したと言われています。
この1回めの実験に使われたプルトニウムのコアは、1945年8月と1946年5月に、二人の物理学者を死に追いやった危険な中性子反射体の手動実験に使われたデーモン・コアと呼ばれるいわくつきのものでした。
2回めの実験で生じたカリフラワー状のキノコ雲が有名なためか、後に行われたビキニ水爆実験(第五福竜丸事件)時の記録と間違われて反核関係の本やウェブサイトなどに掲載されていますが、規模が全く異なります。


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