1492年
レコンキスタ終結

レコンキスタは「国土回復運動」と呼ばれる、キリスト教徒によるイベリア半島のイスラム勢力からの奪還運動のこと。
6世紀にカトリックの西ゴート族によって支配されたイベリア半島ですが、710年、中東からアフリカ北岸を進出してきたウマイヤ朝イスラム帝国の攻撃が開始されます。
711年7月19日、進軍したイスラムによって国王ロデリックや主な貴族が殺害され、西ゴート族は滅亡します。これは同族の内紛も大きな要因でした。まもなくイベリア半島全域がイスラムの支配下に置かれました。イスラムの支配者は人頭税を払うことでカトリックやユダヤ教を許容しましたが、改宗者も多く出ました。718年ころから、ゴート族の残存勢力やフランク王国が、イベリア半島の奪還を図るようになり、これをレコンキスタの始まりとします。
一方、ウマイヤ朝もアッバース朝に滅ぼされ、逃げ延びた王族がイベリア半島に後ウマイヤ朝を興します。以後、後ウマイヤ朝、アッバース朝、フランク王国など諸勢力が攻防を繰り返します。
900年代に全盛を迎えた後ウマイヤ朝は1000年代には衰退。内乱により分裂し、小国が多数存在するようになります。小国群はアフリカ北西部に誕生したムラービト朝の影響下に置かれますが、カトリックの勢力はピレネー山脈を越えて徐々に進出。アラゴン、カタルーニャ、ポルトガル王国が生まれ、イスラム勢力は中南部へと縮小していきます。これにはイスラム教徒同士の対立、すなわちムラービト朝の支配者ベルベル人に対する反発も関わっていました。
アラゴンはカタルーニャとの同君連合により勢力を拡大。ムラービト朝はムワッヒド朝に滅ぼされ、両者は一進一退を繰り返しますが、1212年7月16日のラス・ナバス・デ・トロサの戦いでムワッヒド朝は大敗し、さらに内紛でイスラム勢力は衰退します。そのイスラム勢力で最後に興ったのが、ナスル朝でした。グラナダを支配した同朝にはイスラム残存勢力が集まり、カトリック側の内紛や他地域への進出が優先されたりして、1400年代までかろうじて維持し続けました。しかし、カスティーリャとアラゴンは統一。イスパニア王国が出現すると、ナスル朝の内紛に乗じて一気に攻略。グラナダは陥落してイスラム勢力はすべて駆逐されました。
ナスル朝のアルハンブラ宮殿は現存し、独特のイスラミックなデザインが見られます。

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