1633年
第一次鎖国令(寛永10年2月28日)

江戸幕府が、奉書船以外で海外渡航・海外に長期在住した日本人の帰国を禁止しました。
一般的に、鎖国というのは、海外との関係を断ち、国を封鎖した状態と見られていますが、江戸幕府の鎖国は、厳密には、長崎出島のオランダ貿易、薩摩・琉球を介しての中国貿易、対馬の朝鮮貿易、松前のアイヌ貿易は行われていました。いずれもおおっぴらなものではありませんでしたが、輸入したものは比較的出回っていた他、それなりに輸出もあったと言われています。
しかしそれ以外の交易は認めず、密貿易を取り締まった事例や、田沼意次のように海外交易を主張した人物もいます。
鎖国の背景には、大航海時代以降、西洋列強によるアジアや南米など、キリスト教の布教に伴う侵略行為が行われてきた情報が豊臣時代から伝わってきて、為政者が警戒するようになったことがあります。
鎖国によって西洋との間の学問や技術的な格差が広がり、国内の天変地異による疲弊を補うことが出来なかったり、海で遭難した漁師が異国船に助けられても帰国できないといったこともありましたが、一方では国内の貨幣経済や先物取引市場は独自に発達しました。数学なども独自に発展しています。この体制は、ペリー来航後の開国まで続きました。

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