1597年
千姫生誕

慶長2年4月11日。
千姫は徳川秀忠の娘で、母親は江です。生まれた場所は伏見。当時は豊臣政権で、その中心地でした。
慶長8年(1603年)に7歳で秀頼と結婚して、大坂城に入ります。秀頼の母親は茶々で、千姫の母親江の姉ですから、二人はいとこ同士です。子どもは生まれなかったものの、仲は良かったといいます。
大坂夏の陣では、家康の命で助けだされ(秀頼側から引き渡されたとも)、さらに夫の側室の子、奈阿姫を養女に迎えて助命しました。
翌年本多忠刻に再嫁します。この時、再婚のために奔走していた坂崎直盛が事前に知らされたなかったことから、面目を潰されたとして自刃する事件も起きています。忠刻との間には娘と息子が生まれますが、息子は夭折してしまいました。その後出家し、戦乱も遠くになった寛文6年2月6日(1666年3月11日)に死去します。
千姫が大坂城から救出された後、再嫁するまで、縁切りのために入っていたとされるのが満徳寺。そして、養女奈阿姫が入り、千姫が伽藍を再建したのが東慶寺。この二つの寺は縁切り寺(※)となりました。どちらの縁切りにも縁があるというのは、なんだか可哀想な話です。
※縁切り寺(駆け込み寺)は単に女性が逃げ込む場所だけではなく、復縁や離婚調停を行なう現在で言う家庭裁判所のような幕府公認の機関で、女性からの離婚要請を実施する強制力のある権限を持っていました。

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