1970年
瀬戸内シージャック事件

犯人は、仲間と共に窃盗などをしていましたが、警察の検問に引っかかったことがきっかけで逃走。盗んだ猟銃などを武器に、宇品港に停泊していたぷりんす号を乗っ取ります。
発砲を繰り返しながら、松山観光港に到着後、乗客を降ろし、燃料を補給して再び出港、瀬戸内海を往復。宇品港に戻ってきます。度重なる発砲による被害拡大を止めるため、警察は狙撃を決定。狙撃手が胸を撃ち、犯人は死亡しました。撃たれて倒れる映像が残っています。
この事件は、中継されたこともあって、後に映画化されるなど大きな反響を呼んだわけですが、これで終わったわけではなく、事件後、犯人を射殺したことが弁護士や知識人らの間で問題視され、狙撃手が告訴される事態になります。狙撃手は現場の警官であるため、正当防衛・正当行為として不起訴処分で終わりますが、以後、拳銃の使用は長いことタブー視され、警官に犠牲者が出る事件がなんどもありました。そのため、2001年にふたたび拳銃使用が緩和されるようになります。
凶悪犯でも人権が存在し、逮捕し裁判にかけるべきだ、という意見は、2011年5月2日の「ウサーマ・ビンラーディン殺害作戦」の時にもでました。一方で事件そのものを問題にすべきという意見や、凶悪事件による市民の犠牲を考慮して、厳罰化を主張する意見もあります。

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