1911年
辛亥革命が勃発

古来より続いた中国の君主制が崩壊した「第一革命」です。
清朝末期に西洋列強の進出と混乱で改革の必要性を感じた康有為らは戊戌変法という改革を行おうとしますが失敗しました。しかし、これが庶民の間に改革の機運を生むことになります。清朝が満洲族の王朝であったことも、漢民族の反感を増大させていきます。
こうして各地に革命組織が登場します。その多くが清朝打倒、民主主義を標榜していました。特に1894年11月24日に孫文が興した興中会、1903年11月4日に黄興らが興した華興会、1904年に蔡元培らが興した光復会が主要組織で、この3組織は日本の東京に集まり、頭山満や内田良平らの斡旋で連合。中国革命同盟会を結成しました。彼らは内部で対立しつつも、広州や安徽、ベトナム国境、雲南など主に中国南部の各地で武装蜂起を画策しました。蜂起はいずれも失敗しますが、そんな中、清朝政府の鉄道国有化宣言に反発した資本家・庶民らが四川で暴動。清朝は抑えられなくなります。それをみた同盟会のメンバーや共進会、文学社の運動家らが武装蜂起を画策(武昌起義)。武昌の武器庫、総督府を襲撃し、辛亥革命が勃発しました。各地で同盟会や地元の組織の挙兵が相次ぎ、騒乱は全土へ広がっていき、翌年の中華民国成立へとつながっていきます。
この日は、中華民国の国慶日「双十節」となりました。
10月10日は1913年に袁世凱が初代中華民国大総統に就任した日でもあり、1919年に中華革命党が中国国民党に改組した日でもあります。

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