1952年
白鳥事件

これは「白鳥決定」と呼ばれる、「再審制度においても『疑わしいときは被告人の利益に』という刑事裁判の鉄則が適用される」ことを決定した事件です。わかりやすく言えば、有罪を覆す絶対的な「無罪の証拠」がなくても、有罪の証拠として疑問の残るような疑わしい事実(証拠物や捜査内容の記録、証言、供述証書)が出てくれば、判決を覆すということ。これにより、多くの冤罪事件が灰色なものも含めて、無罪になっています。
事件は、当時の札幌市警警備課長だった白鳥一雄警部が帰宅途中に射殺されたことにはじまります。当時警部が担当していたのが、日本共産党対策。そのため、警察は共産党関係者が起こした事件ではないかと疑いました。事実、当時日本共産党は武力革命も狙っており、非合法の軍事訓練や武装も進めていた時代でした。つまり、まるっきり意図的に共産党とでっち上げたわけではなく、疑わしかったわけです。また共産党関係者も、事件の関連は認めませんでしたが、この殺人事件を賞賛するような言動をしていました。
警察は、村上国治党札幌地区委員らを共同謀議の共犯者として逮捕し(主犯は中国へ逃亡したと判断)、同時に逮捕した人物の供述と、2年前に射撃訓練として使用した銃弾を証拠として提出します。札幌地裁、札幌高裁、最高裁も概ねこれを認め、村上は懲役20年となりました。その後、証拠となった銃弾が腐食していないことなどから疑惑が持ち上がり、再審請求が行われます。最高裁は再審請求は棄却しましたが、その際に、上記の白鳥決定を付け加えました。
これは警察や検察のでっち上げ、違法捜査、いい加減な思い込み捜査などで、冤罪の可能性が出ることを極力避けるためで、事実そのように変わって行きました。ただ、当の白鳥事件に関しては、再審は認めず、判決は妥当としています。

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