593年
聖徳太子が推古天皇の摂政に就任
ユリウス暦で5月15日。和暦では推古天皇元年4月10日になります。
聖徳太子は、非常に有名な人物で、事歴も多い割には謎の多い人物です。
用明天皇の子として敏達天皇3年1月1日(ユリウス暦で574年2月7日)に生まれたとされてます。厩戸皇子というのが実際の名前と考えられるため、最近の教科書では、聖徳太子と併記されているとか。聖徳太子という名前は後に付けられたもの。聖徳太子像も本人の肖像ではないという説があります。
推古天皇の摂政となり、非常に近い親族である蘇我馬子と政治にあたり、推古天皇11年12月5日に冠位十二階制を、推古天皇12年4月3日に十七条憲法を制定しているのは有名。隋朝に使者を送り、仏教普及に努めて、四天王寺、法隆寺、斑鳩寺などを創建しています。
斑鳩宮に居住し、かなりの実力者だったようですが、推古天皇30年2月22日(622年4月8日)に没しました。
最近、聖徳太子はいなかった、という説が話題になっております。厩戸皇子は実在するが、聖徳太子の事歴はほとんど事実ではないというもの。賛否両論で学界を賑わしています。
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