紀元前399年
ソクラテスが刑死する

ソクラテスは古代ギリシャ・アテナイの哲学者。ペロポネソス戦争にも従軍していたことがあります。
自然科学に興味を持ち、あらゆる事象に対して興味を示し、探求を続けました。その果てに、神を崇拝し、不可知論に傾倒していくことになります。不可知論、つまり、神のことは人間には理解できない、というもの。神とは違い、人間にはその知覚に限界があり、あらゆる物を知ることは出来ず、その限界を認識すべきだ、と彼は考えるようになりました。
ソクラテス自身は、自分は完璧ではないことを自覚していました。
ある日、弟子のカイレフォンが、デルポイにあるアポロンの神託所で、巫女に「ソクラテス以上の賢者はあるか」と尋ねたところ、「ソクラテス以上の賢者は一人もない」と答えられた、という話を聞きます。
ソクラテスは、自分の能力の限界を自覚していたため、これはどういう意味なのか悩むようになります。
そして、いろんな「賢者」と呼ばれる人々に話を聞いてみました。その結果、それら「賢者」が自らの無知を自覚していないことに気づきます。自分は無知であることを自覚し、彼らは自覚していない。すなわち「無知の知」を知る自分が賢者とされたのだと考えるようになりました。
この賢者への問答が評判となり、真似をする若者が相次ぎ、無知扱いされた賢者らの反感を買いました。それでもソクラテスは、金をもらうこともなく、神託の意味、すなわち無知の知を人々に説いて回りました。そのため、いよいよ反感を買うようになり、ついにメレトスという詩人を代表に告訴され、「国家の信じない神々を導入し、青少年を堕落に導いた」として陪審員により有罪となりました。彼は信念に基づいて反論し、妥協しませんでした。その結果、死刑判決を受けます。弟子や牢番らが脱出を勧めますが、彼は自分の信念に従い、処刑を受け入れて、毒人参の杯をあおって死亡しました。
彼が死んで、その喪失の大きさに気づいたアテナイ市民は、告訴人らを処刑しました。
ソクラテスの刑死日は「哲学の日」と定められました。また、ソクラテスの妻クサンティッペが悪妻と言われていることから「悪妻の日」ともされています。

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