1939年
創氏改名

朝鮮総督府が、制令で「朝鮮人ノ氏名ニ関スル件」を発布しました。これを一般には創氏改名といいます。
よく、名前を日本風の名前(金さんが金田さんになるような感じ)に強制した、という説明がされていますが、実際は少し違っています。これは「創氏」と「改名」に分かれており、重要なのは、創氏。しかし創氏を理解するには、現在の姓名の仕組みでは少々わかりづらいです。
かつては「姓」と「氏」と「名字」というのがそれぞれにありました。「姓」は日本では朝廷が認めた「朝臣」といった階級で、「氏」はそれぞれの一族名。名字は各家が名乗った名でした。姓と氏は、やがて「姓氏」となって源・平・藤原・橘・豊臣など朝廷が認める公式の姓になりますが、同じ藤原氏などが多数になったことから、それぞれの家で固有の家名を持つようになります。また武士は、自ら得た領地の所有権を宣言する意味もあって、地名を家名にしました。後に徳川だの九条だのという家を区別する名前「名字」が日常的に使われるようになったわけです(だから公式文書では、徳川家康は源家康と署名します)。
この各家の「名字」が、明治以降は「氏」となりました(このとき源平藤橘の「姓」も別に残っていますが宮中儀式での署名などを除き殆ど使われ無くなります)。
一方、朝鮮には姓に当たる名はありますが、各家を表す名字はなく、しかも儒教による父系社会であり(母親のみ別姓。つまり平等ではなく女性を区別するための夫婦別姓)、婚姻の是非は、この父系に連なる一族(先祖が同じ「宗族」)かどうかで決める習慣がごく最近までありました(同じ宗族同士の男女は結婚ができない)。この「宗族」が基準になっていたため、朝鮮総督府は、もっと細かい「各家」単位の、近代日本でいうところの「氏」を新たに創設することにしました。これが「創氏」です。わかりやすく言えば、「一族」を基準にしていた社会を、「各家庭」の単位を基準にするように変更しようとしたわけです。
同時に朝鮮の宗族名である姓も残されています。本来朝鮮人は結婚しても、女性の姓を男性の家に入れないため、夫婦は別姓ですが、日本式の氏と名の制度を導入して夫婦同姓にすることが可能になりました。各家単位にすることは統治上都合が良かったと言えます。
一方、創氏改名の「改名」は、改名する際の法的な手続きを定めたもの。
創氏も改名も、あくまで任意でした。だから従わなかった人々もいます。従わなかったのは、金さんが日本語風に金田さんになる、というような意味ではなく、「氏」という宗族名とは異なる、朝鮮にない社会制度を導入されることに反発したからです。日本風の通名が広がったのは、朝鮮式の宗族名と区別する意味もあったわけです。なお8割の朝鮮人が創氏しましたが、統治下の行政サービスは当然日本式であり、そのほうが都合が良く、そこに差別や、社会的にそのように持っていく運動があったことは否めず、強制されたという主張もされるわけです。

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