701年
大宝律令が完成(大宝元年8月3日・ユリウス暦9月9日)

律令というのは、中国の法制度の一種で、律は刑罰関係の法令、令は主に行政関係の法令になります。中国では律と令を明確に分けた西晋王朝の泰始律令(268年)が最初です。
つまり、当時の日本の朝廷は、唐の永徽律令を参考にしながらその法制度を導入することで、天皇を中心とする中央集権の国家統治システムを完成させようとしたものでした。制定を進めたのは、刑部親王・藤原不比等・粟田真人・下毛野古麻呂ら。前段階として飛鳥浄御原令という律令(令のみ)がありますが、それを国内事情に見合うように変えていった面があります。特に大きく変えてあるのが令で、これをもとに二官八省(太政官・神祇官の二官、中務省・式部省・治部省・民部省・大蔵省・刑部省・宮内省・兵部省の八省)の行政機関を設立。地方統治も官僚制度に組み込み、国司・郡司制度を充実させ、豪族支配から中央権力へ移行させます。また日本という国号を定め、本格的に元号を導入し、大宝元年となりました。この制度の普及と定着を図るため、各地に講義のための明法博士を派遣しています。

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