1867年
高杉晋作死去

旧暦で慶応3年4月14日。
長州藩上士の出身である高杉晋作(春風)は、藩校明倫館で学びましたが、吉田松陰の運営する私塾である松下村塾で学び、松陰から久坂玄瑞と並んで高く評価された人物。上海に渡り、西洋列強の進出を目の当たりにして、尊王攘夷運動に身を投じました。異常なほどの行動力の持ち主で、自分の信念のためなら、藩の公金で軍艦を買おうとするなど、傍若無人なところがありました。そのため体制がめまぐるしく転変した長州藩では招聘され重用されたかと思えば捕らえられ、あるいは命を狙われ、逃亡を余儀なくされます。それでも藩の正兵に対する身分を超えた奇兵隊を作り、幕府との戦いのため、山県有朋らを巻き込んでクーデターまで起こしています。第2次幕長戦争では自ら軍艦を指揮して攻撃するほど。しかし病には勝てず、肺結核を悪化させ、29歳で亡くなりました。
一般に辞世の句とされているのが、野村望東尼との間で交わした句、
「おもしろきこともなき世におもしろく」
「すみなすものは心なりけり」(望東尼)
で有名ですが、都々逸を歌ったりするのを好んだようです。陽気な人だったのでしょう。
その性格と、幕末の激動のためだけに存在したその人生から、交流のあった坂本龍馬とよく似ています。

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