1683年
天和の大火(天和3年12月28日)

通称、お七火事と呼ばれる江戸の大火の一つです。この名前のもとになったのが、火災の被災者で、後に処刑された八百屋お七という少女。彼女はこの大火には直接関係ありません。
火災は駒込大円寺から発生したと言われ、翌朝まで燃え続け、駒込、本郷一帯を類焼し、武家屋敷241・寺社95が焼失。死者は3500名余りと言われます。この火事で焼け出されたのが、本郷森川の八百屋八兵衛一家。一家は檀那寺の吉祥寺(あるいは円乗寺)に避難します。そこで八兵衛の娘のお七は、寺の小姓だった生田庄之助と出会います(名前は左兵衛、吉三郎という説もあり、また吉三郎がお七に放火の入れ知恵したという説も)。お七は16歳の適齢期。二人は恋仲になりますが、やがて実家は再建され、戻ることになりました。
お七は彼に会いたくなります。そこで、火事が起こったらまた避難して会える、と考えたわけです。彼女はあちこちに放火。大きな火災にはならなかったものの、当時は木造家屋ばかりで火災が起こると深刻な被害を出すため、放火は死刑が基本でした。放火がバレて捕縛されたお七に対し、町奉行・甲斐庄正親は助けられないか考え、15歳以下では罪一等を減じることから、評定でお七に十五であることを証言させようとしましたが(本人が認めるだけでよかった)、状況を理解しなかった彼女は、正直に十六と答え、生年がわかるお宮参りの証拠を出したため、法に従い火刑に処されました。
紀海音の「八百屋お七歌祭文」、井原西鶴『好色五人女』の「恋草からげし八百屋物語」、鶴屋南北の『敵討櫓太鼓』など彼女のことを描いた作品は多数あります。
なお、天和3年前後には大火が多く、年月日については異説もあります。

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