1964年
東京オリンピック開会

第18回夏季オリンピック東京大会はアジアで初めての大会でした。もともとは1940年に開催される予定でしたが、戦争や財政問題、諸外国の反発などで返上した経緯がありました。日本政府は1960年大会に立候補しますがローマに敗れたため、再度立候補し、1959年5月26日に西ドイツのミュンヘンにて開催されたIOC総会で開催が決定しました。
国際的な大会であるため、国家を上げてのプロジェクトとなり、競技場建設はもちろんのこと、東京は大規模な再開発が進められ、ゴミ問題とマナーの向上が訴えられ、新幹線と高速道路の整備、外国人が宿泊できる大型ホテルの建設(ホテルニューオータニなど)が行われました。こういった再開発やマナー問題はその後の他のオリンピック開催地の都市でも見られた現象です。
10月10日に開催したのは「晴れの特異日」と考えられた為です。この日はその後体育の日となりました。
競技施設は明治神宮周辺の土地に作られたほか、1940年の大会でも会場に想定されていた駒沢に大規模な競技場が作られました。また1940年大会で建設された戸田漕艇場も利用されています。選手団用の食事の用意に非常に苦労したことや、前日まで悪天候だったのが、当日は見事に晴れ渡り、航空自衛隊ブルーインパルス機によるオリンピックマークの演出はぶっつけ本番だったこと(指揮官機にラジオを置いて放送を聞きながら飛行したという)、市川崑の記録映画が演出に凝ったことから、担当大臣の河野一郎から批判を浴びたものの作品として高評価を得たことなど、エピソードもたくさんあります。
主な参加国とは地球の真裏にある日本での開催のため、テレビ放送用の収録と衛星放送技術が発達しました。

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