1954年
洞爺丸事件

9月26日に鹿児島県に上陸した洞爺丸台風(台風15号)は、九州を縦断した後、中国地方から日本海に出て、北上しました。速度は非常に速く、時速100kmで北海道に上陸します。この日本海を北上中にエネルギーを補給し、956ヘクトパスカル(当時はミリバール)にまで成長。北海道に到達した時点で速度も落ち、暴風雨で大きな被害を出しました。
特に青函連絡船「洞爺丸」は、死者行方不明1155人を出す事態となります。洞爺丸は、引き返してきた第十一青函丸の乗客と貨物を移し替える作業をしていましたが、停電などのトラブルで積荷作業が遅れたために、最悪の状況での出港になりました。港外で様子を見るも、波浪で浸水、発電機等の故障を引き起こし、漂流し始めたため、七重浜に座礁させようとします。しかし錨をつないでいた鎖がちぎれ、大波を受けて転覆しました。積載していた貨車などの重量物が荷崩れし、転覆に影響したとも考えられます。
連絡船では、函館港外で、北見丸(70名)、日高丸(56名)、十勝丸(59名)も転覆(括弧内は犠牲者数)。第十一青函丸も船体3箇所破断により沈没し乗員90名全員が死亡しています。いずれも車両などを積載していたために、荷崩れを起こしたようです。他に複数の船が座礁しました。この大惨事は青函トンネル建設計画を加速させることになりました。
いずれの船も港外に出ていますが、これは函館港内にスクラップ寸前の大型船が係留されていて、これが嵐で漂流する危険があった為です。
この台風では、岩内町で火災が風に煽られて広がり、3300戸が焼失する事態になったほか、家屋の流失・全半壊は20万戸を超え、漁船など5500隻を越える船舶が損傷しました。各地で多くの原生林が倒され、失われたといいます。

ウインドウを閉じます

総合年表

総合年表ブログ