トリニティ核実験
トリニティ実験は人類史上初の核実験。ニューメキシコ州オテロ郡アラモゴード市の郊外で行われた。
原子爆弾は原子核の核分裂に伴って放出されるエネルギーを兵器として利用するアイデアから生まれた。しかし具体的にどういう方式で実現するかで意見は分かれており、核燃料もウランとプルトニウムが検討された。
ウランは天然に豊富に存在し、それ自体も危険性が低く扱いやすいが、核分裂が可能な同位体ウラン235は、天然ウラン(殆どが安定したウラン238)の中に少量しかないため、専用の遠心分離機で濃縮する必要があり、核分裂臨界量に達するには多くの量必要なためコストがかかる。しかしその量さえあれば比較的簡単に核分裂できるため、爆弾内部で2つの未臨界量ウランの塊をくっつけて臨界量にし核爆発を起こすという単純な構造で原子爆弾を作れた。これがガンバレル方式と呼ばれる、広島に投下された原子爆弾。
構造が簡単なため、核実験を行わずに広島へ投下された。

一方、プルトニウム239は、天然にはわずかにしかなく、それ自体も強い放射線を出すため扱いが難しい物質だが、原子炉さえあればウラン238から生成が可能で(発電しながらついでに生産できる)、しかも臨界量がウランほど多くないため、比較的ローコストで原子爆弾を作れる。しかしプルトニウムには、プルトニウム240という自発核分裂を起こす同位体が含まれており、これを分離するのが困難であった。自発核分裂が進むとその衝撃で核物質が飛散して核爆発にならないため(過早爆発)、その前に核物質全体を核分裂させる必要がある。そこで「プルトニウムコアを周囲から均等に圧力をかけて押しつぶすことで瞬時に核分裂を引き起こす」という爆縮方式が検討されたが、この均等に押しつぶす技術が非常に困難であった。
そのため、アラモゴードで実際に爆縮がうまくいくかの検証実験を行ったのが、最初の核実験。この時使われた原子爆弾の名前はガジェット(小道具)と呼ばれる。なおプルトニウムは、ガンバレル式では過早爆発が起きやすいため出来ない(広島に投下された1番目のガンバレル式原爆リトルボーイ(少年)の次に計画されていた原爆はシンマン(痩せ男)と呼ばれ、ガンバレル式プルトニウム原爆だったがうまく行かず、3番目の爆縮型原爆ファットマン(太った男)が長崎に投下された)。
爆縮方式でも、プルトニウム240は10%以下に抑える必要があり、プルトニウム239が90%以上になると、兵器級プルトニウムという。兵器級にまで純度を高めるには、商用原子炉として一般的な軽水炉では難しく、黒鉛炉か高速増殖炉が必要になる。
爆縮方式は、一旦うまくいくと、生産も消費もコストを抑えられ確実性も高いことから、コストが高いガンバレル方式に取って代わることになる(構造が単純なガンバレル式ではフェールセーフが働かないというのも理由の一つと言われる)。
技術後進国が核開発を目指す場合も、最初は技術力が低いがコストの高いガンバレル方式を選び、その後は技術力は必要だがコストの低い爆縮方式へとシフトする。

アメリカの成功からしばらくは、高い技術力を必要とする関係で、核兵器は広まらなかった。しかし科学者によるリークでソ連がプルトニウム原爆開発に成功。イギリスもVXなどの化学兵器データとの交換で情報を得たと言われ、フランスや中国は、当初から高性能の原爆を作っていることから、この時点で技術は主要国に広く拡散していたとみられる。それでも核兵器が一部の国にとどまっているのは、技術導入のコストが大きく、そのコストで通常兵器を整えるほうが都合が良いためでもある。
アラモゴードの核実験以降、ソ連、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタン、北朝鮮によって合計2379回(502回は大気圏内)の核実験が行われ、総核出力は530Mtに達する。この他に、核兵器開発に成功しているイスラエルと南アフリカが核実験を共同でやったのではないか、という疑惑が1回ある(1979年のヴェラ事件。なお南アフリカは核兵器保有を放棄)。またイスラエルはフランスの核実験にも参加しており、北朝鮮はパキスタンの核実験に参加したと言われる。

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