1876年
上野公園開園

上野山は、江戸の北東、すなわち鬼門にあたります。そこで守護のための寺院をおいたのが、東叡山寛永寺です。建てたのはあの天海。宗派は天台宗。京都の鬼門を守る比叡山に倣って、東叡山というわけです。
徳川家の帰依を得て、増上寺と共に将軍菩提寺となったことから繁栄したのですが、維新の際に、旧幕勢力が立てこもったことから、上野戦争(1868年7月4日)となり、伽藍は甚大な被害を受けます。上野で戦争なんて今からは想像もできない話ですが。
その跡地に医学校などを作る計画があったのを、計画を立てたボードウィンが上野山を見て、公園にすべきだと言ったことが、今の上野公園のはじまり。そのため公園にはボードウィン像があります。
現在は桜の名所であり、上野動物園、国立博物館、国立科学博物館、国立西洋美術館ほか多数の博物館・美術館、東京芸大のキャンパス、それにもとからある寛永寺の伽藍が点在し、一大文化エリアになってます。
なお、一旦帝室御料地となってから東京市へ払い下げられたので、正式には上野恩賜公園といいます。

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