769年
宇佐八幡宮神託事件
神護景雲3年10月1日。
いわゆる道鏡事件と呼ばれるもの。皇位継承を揺るがした日本史上類例のない奇妙な事件です。
発端は、5月、宇佐八幡宮より称徳天皇(孝謙天皇)に対して、「道鏡が皇位に就くべし」との託宣が出たと、道鏡の弟で大宰帥の弓削浄人と大宰主神の習宣阿曾麻呂から上奏があったこと。それを受けて、女帝であった称徳天皇と親しく、大きな権力を握っていた弓削道鏡が天皇位を得ようとしたとされ、天皇もそれを望み、前例のない事態に大問題となります。
称徳天皇は、側近の女官、和気広虫(法均)にさらに宇佐八幡宮の神託を受けるよう命じますが、体の弱い彼女では九州まで行くのは無理ということで、弟の和気清麻呂が向かいます。8月、清麻呂が宇佐八幡宮に詣でた際、現れた神は「天の日継は必ず帝の氏を継がしめむ」と血統の異なる道鏡の皇位継承を拒否。戻ってそう報告を受けた天皇は激怒し、和気清麻呂を別部穢麻呂と改名させて大隅に流刑、広虫も別部広虫売とされて備後に流されました。どちらも名前を穢されるという重罰を受けた上で流刑にされたわけです(※1)。
ところが、同年10月1日(11月7日)になり、称徳天皇が詔を発し、道鏡には皇位は継がせないと宣言したため、事件は終息しました。道鏡はこのために地位と権力を欲した悪徳僧の代表のようになっていますが、実際のところはわかりません。というのは、道鏡は和気氏の処罰後に皇位には就こうとしておらず、また皇位簒奪という重罪なのに、天皇崩御後に下野に左遷されただけで一族も弓削浄人が流罪になった以外大きな罪に問われておらず、一大勢力の藤原氏も、この件で天皇や道鏡に対し積極的に行動を起こしていません(女帝との姦通の話も僧侶としては重罪であるにもかかわらず問題になっていないので、後世の誇張という説もあります)。事件には何か、記録に残らない別の側面があったのかもしれません。なお、和気姉弟は許されて朝臣の姓を賜り、出世しています。
称徳天皇まで女帝はしばしば出ていますが、彼女以後、江戸時代に入るまで女帝は出ていません。
ちなみに女帝に取り入ったことから、道鏡には巨根伝説が古くからあります(※2)。
※1:称徳天皇はしばしば気に入らない人物に悪名を強制する罰を与えていました。
※2:交尾器の大きなオサムシをドウキョウオサムシと命名するなど、巨根の代名詞にもなっています。
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