1880年
横浜正金銀行が営業を開始する

貿易金融のための銀行として興されたのが、横浜正金銀行。正金というのは現金のこと。
きっかけは、西南戦争による出費を補うため、発行された政府紙幣と、新貨条例で定められた正貨(1円銀貨)との価値に格差が生じるようになり、また貿易によって銀貨の流出がひどくなったために、当時の財界から、貿易のための金融機関が必要だという訴えが相次いだことです。
そこで、元丸善商会社長で、第八国立銀行の設立に関わった中村道太を代表とし、国立銀行条例に基づいて、横浜正金銀行が設立されました。政府も出資した特殊銀行で、中村が慶応義塾出身で、福沢諭吉も設立に関わったことから、慶応出身者が経営に関わりました。1887年7月6日には、横浜正金銀行条例も公布。
その後は貿易金融取引だけでなく、為替取引に関わることになり、植民地や中国での銀行券の発行も認められるほどになりました。しかし昭和恐慌の影響で打撃を受け、日中戦争が始まると、円と連動する独自通貨の発行で中国経済支配を目指す軍の影響下に置かれたため、設立当初の目的はほぼ失われました。終戦後、閉鎖機関として指定され、解散。為替業務は新たに設立された東京銀行に引き継がれ、同行は東京三菱UFJ銀行になっています。
横浜正金銀行の本店は、妻木頼黄の設計で、1904年に完成。歴史主義建築の代表的建物で、関東大震災で大きな被害を受けるも、修復されて残り、重要文化財に指定されて現在は神奈川県立歴史博物館となっています。


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