1946年
第1次吉田内閣成立

戦後の文民政権ではありますが、旧憲法下における天皇任命という形をとった最後の内閣にあたります。
戦後最初の総選挙で誕生した自由党政権ですが、鳩山一郎が組閣するはずだったのに当の鳩山がGHQから公職追放を受けたため断念。そこで松平恒雄宮内大臣(松平容保の子)を総裁候補に推す動きが出ますが、鳩山と松平の意見が合わず、吉田茂に話が回り、吉田は条件付きで飲んだことから、5月16日に天皇の組閣大命が降下しました。吉田茂は条件につけた閣僚の選定を独断で進め、日本進歩党と連立で内閣を編成しました。
兵士らの復員、農地改革、食糧難の改善などが喫緊の課題でした。しかし改革は思うようには進みませんでした。
翌年5月3日、日本国憲法が施行され、また第23回衆議院総選挙で社会党が躍進すると、吉田は政権にこだわることなく、あっさりと降りてしまいました。
旧体制で最後の内閣は約1年と短期間で終わりますが、新憲法体制で、吉田茂は再び表舞台に出てくることになります。
戦後の混乱期を収めるには彼の力量が必要だったからです。

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